初詣の「ベビーカー自粛」論争に思うこと。元ユーザーとしての複雑な本音
最初は「邪魔扱いされた」ようで悲しかったけれど
あるお寺が初詣の混雑期に「ベビーカーでの参拝自粛」をお願いしたニュースが、ネット上で大きな議論を呼んでいます。
我が家はちょうど子供たちが自分の足で歩けるようになり、ベビーカーを卒業したばかり。数年前までは頻繁に利用していた「元ユーザー」だからこそ、このニュースを最初に見たときは、まるで子育て世帯が邪魔扱いされているような気がして、少し寂しい気持ちになりました。
しかし、ニュースの詳細を読み進めていくうちに、お寺側が決して悪意でこの決断をしたわけではない背景が見えてきたのです。
「優遇」から生まれたトラブルと、踏まれた側の痛み
実はそのお寺、以前は「ベビーカー歓迎」のスタンスを取っており、専用通路まで設けていたそうです。しかし、その通路を使ってスイスイ進む姿が他の参拝客との間でトラブルになったり、混雑時にお年寄りがベビーカーにつまずいて怪我をしてしまったりしたことで、苦渋の決断として「自粛のお願い」に至ったという経緯がありました。
そう言われてみれば、私自身もこれまでに何度も、他の人が押すベビーカーに足(特にかかと)を踏まれた経験があります。
気がついて謝ってくれる方はごく一部で、ほとんどの場合は混雑のせいで踏んだこと自体にすら気づいてもらえず、泣き寝入りでした。かかとを踏まれるとかなり痛いものですし、正直なところ悲しさとモヤモヤを抱えることも多かったです。
「同じ子育て中だからお互い様」と自分に言い聞かせて言葉には出しませんでしたが、押している側は安心しきっていて、足元への注意が疎かになりがちなのかもしれません。私自身も、自分が踏まれる経験をしていなければ、そこまで周囲に気を配れていなかったかもしれないと思うのです。
「ベビーカーは優遇されて当然」ではない、お互いの配慮
混雑が必須となる初詣だからこそ、ベビーカーが周囲の歩行の妨げになったり、思わぬ怪我の原因になったりするリスクは高まります。そう考えると、お寺側の「自粛のお願い」にも十分に納得がいきます。
「ベビーカーだから優遇されて当たり前」という態度ではなく、サイズが大きくて周囲のスペースを占有しているという意識を、使う側も少しだけ持つことが大切なのではないでしょうか。
子育て世帯が冷遇される社会は悲しいですが、周りへの気遣いがあってこそ、お互いに気持ちよく過ごせるはずです。
大混雑が予想される場所へ出かける際は、ベビーカーの代わりに「抱っこ紐」を選択肢に入れるなど、状況に合わせた少しの工夫と配慮が、今の時代には必要なのかもしれません。