アニマルセラピー犬の重要性

犬に対してアニマルセラピーなのかという風に私は思いました

犬というのは、とても賢い生き物だと思います。
私が落ち込んでいる時や、元気がない時、そっと寄り添ってくれるその姿に、どれほど救われてきたか分かりません。

アニマルセラピーという言葉がありますが、特別な訓練を受けた犬だけでなく、家庭で一緒に過ごしている愛犬もまた、私たちにとって最高のセラピストなのだと改めて感じています。

言葉は通じなくても、心の深い部分で繋がっているような感覚。これこそが、人間と犬が長年築いてきた絆の証なのかもしれません。

何を書こうとしたのか、そうそう、まるころという犬の話でした。 昨日は、ずっとこたまると一緒になって眠っていたのでした。 まるころは途中抱っこして、元々抱っこ犬ですから、抵抗はないのですが、抱っこして色々とやってくると、顔をなめてくるのですが、これがまるころはいつもながら可愛いです。 最近こたころが、これを真似するようになってきました。 こたころも舌を出すようになってきたのでした。 そのこたころの隣で同じように眠っていると、犬の力というのは不思議なもので、傍にいると、寝ていて、癒されてくるものがあるのですよね。 確かに愛犬家というのは分かるような気がします。 こたころの柔らかい毛などを触ったりしている内、何だか気持ちがほぐれてきて、前向きになってくるのでした。 これがアニマルセラピーなのかという風に私は思いました。 社会は暗澹としている中で、静かに生きていたいという人にとって、わんころはとても大きい存在になっているのだと考えました。 なので、こたころはセラピー犬だよなあという風に思いました。 犬は邪魔という風に考える人は飼い方を間違っているだけだと思います。 例えば、ごはんをあげて、それから適度に遊んでいれば、それ程、犬というのは干渉してこないと思っています。 世話も何もしていない父親に対しても、犬はよってきて、なめたり、遊んだりしています。 父は嫌いではないので、可愛がっていますが、必要以上の干渉は犬も父もしていないのです。 必要な時期というのが、ずっと飼っている内にわかってくるのだという風に思います。 犬がダメでだとか、犬のせいにしている人は、例えば体罰という名前で、そういう過剰な事をしてしまったり、そういう飼い主によって、犬も変わってくると思います。 昔の番犬のように思っている人はまだいるのでしょうか。 適切な飼い方をしていれば(それも範囲と応用のきく)犬は、思ったほど、手間はかからないと私は思っています。 昨日のこたころは、私のジャケットでがりがりと引っ掻いて遊んでいました。 こたころから、「だめだよ」といっても、がりがりと、こういう場合、暫くすると、ごめんねという顔をしてから、どこかにいったり、水を飲みに行ったり、来て違う所に行くので、そういう風にすぐ短気になったりしてはいけないのだと思っています。 昔、何かで愛犬の頭を叩いていたあのおじさんのような失敗飼いはいけないのです。 何かというと、犬にあたるのは間違っているのです。